苦いくちびるにごはんつぶ

衣食住の優しさ、苦しさ、それに魔法をかけること

摂食障害がほぼ治ったお話

 みなさんは泣くのが上手ですか? じゃあ、食べることは好き? わたしはその両方について「いいえ」でした。いつか「はい!」と答えられるようになったらそれをみんなに伝えたい、と思っていて、こうしてブログを書く勇気を出すところまで漕ぎ着けました。


「今では全く隠していないのですが、わたしは過去4年間、摂食障害に苦しんできました。主に非嘔吐過食です。それもスイートホリック寄りです」
 ……なんて、客観的に書いてみるとなんだか深刻に見えますが、わたしにとってこの事実はセロファンのように薄っぺらくて、なんだか現実味がありません。症状がたまにしかやってこない今となっては、遠いものになってしまいました。外国の新聞とか、嘘とか聞きなれない銘菓とか、そういうものと同列に。

 かつてわたしにとって、食べることはすなわち泣くことでした。泣きたいのに、感情を爆発させたいのに、それがどうしてもできなくて、縋るように食べていました。食べ物をたくさん口に含んだ時の重苦しさは、涙の後味にすこしだけ似ています。だから食べれば、食べている間だけは、その場所が安心して泣ける居場所であるかのような、甘い幻想の中にいられました。
食べれば血糖値が上がって脳は満足するけれど、食べたものを処理できない体が悲鳴をあげて、食べたことを受け入れられない心がぐちゃぐちゃになる。いろいろな心理療法やセルフヒーリングのメソッドを試したけど何一つうまくいかなくて、常に恥や罪悪感でいっぱいでした。

 だけど、 答えはシンプルだったんです。「自分のやり方」じゃなくちゃいけない。わたしたちはいつも自分の細胞に記憶されたルーティーンで行動して、自分の言葉で思考をしている。だから呪いを解くのもあたらしい魔法をかけるのも、自分の言葉を使わなくちゃいけない。それに突然気づいて、日記をつけたり食べたものを記録したりするようにして、「いまの自分のやり方」を徹底的に把握するようにしたんです。そしたら、ちょっとづつだけど確実に、コントロールできるようになりました。

 もちろんわたしが一歩踏み出せたきっかけは、恋人が毎日ご飯を作ってくれるようになったからです。だからわたしは本当に幸運で、「自分の力で治ったよ! 」だなんて絶対に言えません。彼が長い旅から帰ってきて、最初に作ってくれたごはんを一口食べたとき、思わず泣いてしまいました。「食事ってこんなにおいしかったっけ? 」って。あれは絶対に、魔法のかかったごはんでした。この人は自在に、おそらく無意識に、魔法が使えるんだ。わたしも使えるようになりたい!

 きっと、ごはんに向き合って座るわたしたちの意識一つで、呪いをかけることも魔法をかけることもできるんだと思います。誰かと食べるとき、一人で食べるとき、いつでも食べるものに魔法をかけておいしく身体を作れる人になりたい。その試行錯誤の過程を誰かとシェアできたらなと思い、このブログを開設しました。このブログかいつか、愛しいいくつもの食事たちの、わたしにとっての、願わくば誰かにとってのリマインダーになりますように。